父は、毎日何を思っているのだろう
面会を終えて施設を出るとき、決まって同じ問いが浮かびます。父は今、何を思ってこの一日を過ごしたのだろうか、と。
認知症だから、もう何も考えていない。そう言ってしまえば、この問いは終わります。楽になるのかもしれません。けれど、私はその言葉を、自分に許すことができずにいます。
わからない、という事実と向き合う
言葉を交わすことが少なくなった父の内側で、今何が起きているのか。それを知る手段を、私は持っていません。ふと目が動く瞬間、誰かの声に耳を傾けるような仕草。そこに意味を見出したくなる自分がいる一方で、それは単なる願望に過ぎないのではないか、とも思います。
「何かを感じているはずだ」と信じたいのは、父のためというより、私自身のためなのかもしれません。そう考えると、この問いはさらに深く、静かに沈んでいきます。
決めたのは私たちなのに
施設への入所を決めたのは、家族である私たちです。あのときは、それが父にとって最も良い選択だと、迷いながらも信じていました。今もその判断が誤りだったとは思っていません。
それでも、決断を下した後になって、答えの出ない問いばかりが増えていきます。決めることと、理解することは、別のことなのだと知りました。
問い続けることしかできない
この問いに、答えが出る日は来ないのかもしれません。それでも考えることをやめられないのは、後悔からではなく、父という一人の人間を、まだ理解しきれていないという感覚があるからだと思います。
わからないまま、それでも思いを寄せ続けること。それが今の私にできる、父への向き合い方なのかもしれません。