認知症と行方不明――他人事ではないという実感
依然として高い水準にある「行方不明」の現実
認知症が原因で行方不明になる高齢者の数は、統計を見ても依然として高い水準で推移しています。ニュースで見かけると「大変だな」と思う一方で、どこか自分の生活とは少し距離のある出来事のように感じてしまうこともあるのではないでしょうか。私自身も、実際に経験するまではそうでした。
携帯電話を持っていても、気付かない事がある
父がまだ在宅で生活していた頃、一度、出掛けたまま連絡が取れなくなったことがあります。携帯電話は持たせていたので安心していたのですが、いざ電話をかけても出てくれません。「まさか」という不安がじわじわと大きくなっていく中、何度もかけ続けているうちに、たまたま応答してくれました。
電話越しに聞こえてくる声はいつも通りでしたが、本人は自分がどこにいるのか、うまく説明できない様子でした。焦る気持ちを抑えながら、見えている景色や近くの建物、聞こえる音などを一つひとつ尋ねていき、なんとか場所の見当をつけて迎えに行くことができました。
「見つかった」で終わらせない
結果的に大事には至りませんでしたが、あの数十分の間に感じた不安は今でもよく覚えています。携帯電話を持っているから、GPSがあるから大丈夫、というわけではなく、そもそも電話に出てもらえるかどうか、本人が状況を説明できるかどうかという別の壁があるのだと、身をもって知りました。
統計上の数字は、その一件一件の背後に、こうした家族の緊張した時間があることを教えてくれているように思います。
できる備えを、少しずつ
あの経験をきっかけに、我が家でも改めて備えについて考えるようになりました。今は小型のGPS端末を靴や鞄に付けられるものも増えていますし、携帯電話の位置情報を家族と共有できる機能もあります。ただ、機器はあくまで「見つけやすくする」ための一つの手段であって、それだけで安心しきれるものではないというのが実感です。
それと合わせて心強いのが、地域の見守りネットワークです。近隣の方や商店、交番などが顔なじみとして本人を気にかけてくれる関係があると、何かあったときに気づいてもらえる可能性がぐっと高まります。事前に地域包括支援センターに相談し、見守り登録をしておくのも一つの方法だと思います。機器と人のつながり、その両方を少しずつ重ねておくことが、いざという時の安心につながるのではないでしょうか。
あの日の安堵を思い出すたびに、備えの大切さを改めて感じます。